九月の砂浜

強力な日差しが、白い砂で照り返してくる。
潮風の音。サンオイルの香り。熱く柔らかい砂に、靴が沈む。

海には、多くのヨットが浮かんでいる。
浜辺には、水着で日光浴する人たちが寝そべっている。
自分は、日傘をさし、帽子をかぶり、リュックを背負い、登山靴を履いて、浜辺を歩いている。

波打ち際に近づくと、砂地が湿り気をおびて硬くなっていく。
波の泡が砕ける音が聞こえる。
砂地には、波が残した白いラインが伸びて続いている。

潮風が日傘に吹き込み、日傘が裏返る。
背中は汗でびっしょりと濡れている。
そのまま、波打ち際に沿って歩き続ける。

変わり続ける世界

ホームページサービスが終了していく。
HTMLを手打ちして、アップしていたサイトが、消えていく。
10年以上更新していないサイト。
今のOSで動かないフリーソフト。
必要かといわれると、必要ないのだけれど。
過去が見えなくなるのが、寂しいのだ。

生まれ育った町の街並みが変わっていくように、
ネットの世界も変わっていく。
これまで、ありがとう。
さようなら。

夜のドライブ

トンネルを抜ける。真っ暗な下り坂。
山の隙間から、夜空が見えた。
窓を下げると涼しい風が吹き込んだ。
寒くはない。

ヘッドライトが道を照らす。
白いラインがカーブして延びている。
正面上方に白い灯りが見える。
あれは峠にある駅のホームだ。

この先はカーブの連続。
ハンドルを握りなおす。
夜風から、森の薫りがした。

スマートフォンのケースを交換する

スマートフォンの保護ケースの一部が、変形して伸びて本体にフィットしなくなってしまったので、新しいケースに交換した。
ケースが新しくなると、画面の表面の汚れが目立ったので、拭いた。
画面の表面がきれいになると、画面の表示がどことなくぼやけて見えることに気がついた。
自分が設定した壁紙画像の解像度が低いからかと、試しに端末内臓の壁紙に変えてみると、すっかりクリアに見えるようになった。
ケースを変え、画面を拭き、壁紙も変え、すっかりきれいなスマートフォンになった。
しかし、しばらく使っていると、アイコンの下の文字が、読みにくいことに気が付く。壁紙のコントラストが強すぎるので、白い文字が見にくいのだ。
試しに前使っていた壁紙にもどす。少しぼやけた感じの壁紙だが、アイコンがくっきり前に浮かんで見えるではないか。アイコンの下の文字も読みやすい。このほうがずっといい。
こうして、壁紙は以前のものにもどした。
今回得た教訓は、部分的な最適化が、必ずしも全体の最適化とはなりえないということである。
当たり前のことだが、自分が何をしたいのかによって、何が最適かは変わる。
目先の変化に注目しすぎ、変えなくて良いところまで変えてしまい、しばらくはそれがよいと思っていた。自分の評価が環境の変化に影響を受けるということが分かった。そして本当に必要なものがなにかは、使い続ける中で浮かび上がってくるものなのだとも。その時に、戻せるようにしておくことが、大事なのかもしれない。

素早い判断や決断ができるのは効率的といえるだろう。けれど、評価基準を間違え、判断を誤ることもある。だから、様子をみて決めるという余裕を持つことも大事だと思う。
そのほうが、長期的にいい評価や、最終的にいい判断ができると思う。もしかしたらより効率的といえるかもしれない。
そのことを覚えておこうと思う。常にそうできるとは限らないが。

認識されている

前払いでチケットを購入する珈琲店に行った。
過去にも、何度か入っているのだが、今日はドリップ珈琲を受け取るときに、責任者らしい店員に、「いつもありがとうございます。」と声をかけられた。
ちょっと、驚いた。
そして、ちょっと、うれしかった。

こういったチケット購入方式の店は、後払い方式の店よりも、店員と客の距離が遠いものと思っていたが、そう単純なものではないのだな。

こちらが、この人が責任者なんだなとわかる程に来ているから、向こうも、同じ回数こちらの顔をみているということか。

レコードのかかる喫茶店

夏の日差しの降り注ぐ通りから、灯りの消えている店内に入った。

ゆったりとした英語の歌詞の古い曲が、ながれている。
人が演奏し、人が歌っている音楽だ。
知らない曲だが、なんだか懐かしい気持ちになる。

目が暗さになれると、店内の様子が見えてくる。
テーブル席、ソファー席、大きなスピーカ。
壁沿いにならぶ木製の箱にはアナログレコードが詰まっている。

若い女性店員が、2人。奥の小さな調理場にいる。
案内されて、アナログレコードとは反対の壁沿いのソファー席にすわる。

出された水の氷が大きくて、透明だった。
水が美味しい。

暑かったので、アイスコーヒを頼む。
ドリップしているのか、サイフォンなのか、見なかったけど、
しばらくしてとどいたグラス入りのそれにも大きい氷が入っていた。

コーヒはさほど冷たくなく、甘く濃厚な香りがした。
それでいて雑味がなく、澄んださっぱりとした後味。
夏を感じる味であった。

大きなスピーカーからは海風を感じる曲が聞こえてくる。
通りの窓から、日差しの照り返しが、店内まで届いている。
ゆったりとした時間が漂っていた。

きっかけは、大事。

休みの日、家でだらだらと過ごしてしまう。
いい天気なのに、時間を無駄にしている気がする。

昼に、宅急便が届いた。
カタログギフトで注文した冷凍食品だった。
そういえば、受取日を今日に指定していた。

実は、この宅急便が届くのを待っていたのだ。
そう考えて、動き出すことにする。

靴下

靴下に穴が開いていた。
履き続けていたら、だんだん穴が大きくなってきた。
そろそろ替えないといかんと思い、買いに行った。

革靴は、26.0cmのものを履いている。
靴下も26cmのものを探す。
どうやら、26cmは、サイズの境界であるようだ。
24-26cmの商品と、26-28cmの商品があった。

未満とは書いていないから、26cmはどちらにも含まれると思える。
どちらが、良いのだろうか。範囲の上端か、範囲の下端か?

大は小を兼ねるという考えから、26-28cmを選択した。

靴は、25.5cm、26.0cm、26.5cmと、0.5cm刻みであるのに対して、
靴下は3cmの幅があるわけだ。伸縮自在という事なのだろう。

自分は、25-27cmの商品があれば、それを選んだと思う。
だが、供給側は、種類が少ないほうが、管理が容易だろう。

などと、ぼんやりと考えた。

知らない場所を歩く

私は、知らない場所を歩くのが好きだ。
人の少ない所を歩くのが好きだ。
夜、仕事帰りに歩くことが多い。

今日も知っている道から、
曲がったことが無い交差点を曲がり
初めての道を歩いてみた。

暗くて細い道。
歩く人は、反対方向に進む人が一人。
すれ違った後は、もう一人きり。

道の先が暗くて細くて、登り坂になっているので、
やや新しい家の手前を左に曲がる。
隣は、古くて暗い家。窓に蛍光灯の明かりが見える。
道の先にまぶしい明かり、ガソリンスタンドが見える。
道は、暗い。左側は、草原で風に草がそよいでいる。
虫の鳴き声が聞こえる。
右側は、田んぼになった。
ガソリンスタンドのオレンジ色の明かりに育った稲が整然と並び、
その長い葉を揺らしている。
蛙が鳴いている。
彼らは夜行性なのだろうか?

ガソリンスタンドの脇から、太い道路にでた。
車は、何台か見えるが、歩行者はいない。
遠くには、コンビニの看板が光っている。
逆方向は、山に登っていく坂道。
坂道の下りきった所に、横断歩道がある。
道の反対側は、家がまばらで水田か畑が広がっている様だ。

地図を見るとその向こうには、川が流れていて、
橋を越えた所に私鉄の線路があり、右手方向に駅があるのが分かった。

今日は、そこから、電車に乗る事にしよう。
私は、横断歩道に向かってまた、
歩き始めた。

夕暮れ

19時すぎにデパートの13階で食事をした。
大きな窓から、夕焼けの空が見えた。
ピンク色から、紫色のグラデーション。
少しずつ、夜の色に変わっていく。

普段の生活で、夕暮れの空を見ていないことに気がついた。